自身の強さの秘訣を聞かれたときに、片山が決まって言うことがある。「人より体の小さな僕が、勝つために出来ることは何か。工夫を凝らし、自分だけのやり方を見つける能力。そして、それを信じてやり続ける力」。それは、父親の遺言といっても良かった。ゴルフの道に誘い、息子をトップアマに育てあげた太平さんが、肝臓がんのためこの世を去ったのは97年。享年、53歳。片山は、プロ2年目。まだ、シード権すら持たない時代の話だ。
18番グリーンの向こう側に、母・節子さんと、今や女子プロで活躍する妹・真里さんの姿が見える。あのときが蘇る。当時でいう二部ツアーのグローイングツアー競技出場中に真里さんから危篤の知らせを受けて、きゅうきょ大会を棄権して病院に駆けつけた。その2日後に父は逝った。
「これからは、僕が家族を支える」そう心に誓った矢先だった。まだ悲しみも癒えないうちに、さらに不運が訪れる。98年春。胸部の椎間板ヘルニアはゴルフはおろか、ただ立っていることすらままならなかった。しかし意を決して大手術を受けた片山は奇跡的な回復を見せて、約半年後の8月にサンコーグランドサマーでプレーオフを制してツアー初優勝を飾るのだ。
プロ転向からわずか3年あまりの間に「ゴルフが出来るだけでも幸せだ」と、心底から思えるような過酷な試練を乗り越えていまここにいる。ことゴルフに関する凄まじいまでの執念と向上心は、このときに養われたといってもいい。これこそ、賞金王・片山晋呉の原点だ。
ちょうど今大会2日目の木曜日、先月の28日が命日だった。練習を早めに切り上げ、家族みんなで父の墓参りに行ったのは前日27日の水曜日。このとき、墓前に誓った。「今週は頑張ってくるからね」。生前、ついに父親にツアー初優勝を見せられなかった息子の祈りが、天に届いた。
父を喪ってからちょうど10年目。慟哭の中にあってなお、常に前だけを見つめ続けた10年間。3年連続の賞金王にのぼりつめ、今ついに念願のツアーNO.1の称号を手に入れた。
この日最終日は大会史上最多となる8918人のギャラリーが、会場に駆けつけた。グリーンをグルリと取り囲む、スタジアム風になった18番を埋め尽くしたのは、地元・茨城のゴルフファン。ウィニングパットを決めて、この日使ったボールを次々と投げ込んだ超満員のスタンドのどこかで、父親が笑っているような気がして目を凝らす。「・・・絶対に、どこかで見てくれている」。優勝カップを空高く掲げ、父への思いを噛み締めるように、歯を食いしばって片山は泣いた。