片山晋呉が大激戦を制した昨年大会。星野は病院のベッドの上にいた。原因不明の目の腫れとめまい。ラウンド中にもフラつきを訴えて「ゴルフどころじゃなかった」。
検査をかねて、緊急入院して3週間。「みんなが優勝争いしているときに、寝てなくちゃならない…。悔しくてたまらなかった」。特に、このツアープレーヤーNO.1決定戦に出場できなかったことが、何よりもショックだった。「飛距離と、ショットの安定性と、球の高さと打ち分けを要求される。まぐれでは勝てない。高いレベルのオールラウンドプレーヤーでなくちゃ」。
それほどの難コースで、2004年に15位。2005年は4位。2005年は5位。しかも2004年は16番で、ホールインワンも達成した。立て続けに好成績をたたき出し、相性は抜群と自負する会場のここ、宍戸ヒルズカントリークラブでの初タイトルを狙っていたからなおさらだった。
結局、めまいの原因は分からないまま今も再発の不安におびえ、病院で処方された抗炎症薬が手放せない毎日だ。
ゴルフに関してなら揺らぎない自信があったとはいうものの、この週は連日の猛暑に極力、体力温存を心がけながらのプレー。独走態勢に入っても、油断など出来なかった。「ここは、何があるか分からないコースだから」。絶好調のまま最終日を迎え、「崩れる気がしない」と、どんなに自信満々で下位を突き放しても、一方で「負けるかも知れない」という不安は最後までつきまとった。
10番、11番での連続ボギー。「特に難しいホールをパーで切り抜けたいと、手に力が入りすぎた」。ショットのリズムも乱れていた。そんな自分をたしなめて、その場で即座にスイングを立て直し、いよいよ迎えたウィニングパットは2.5メートルのボギーパットだ。「このときようやく優勝を確信できた」という。
はたから見れば5打差のぶっちぎりVも、決して楽勝ではなかった。「やっと“戦争”が終わったという感じ」。ツアー屈指の難コースを相手に死闘を演じ、ほっと安堵のため息をついた男の目にはうっすらと涙が…。
今も闘いが続く原因不明の病には、「勝つことこそ薬になる」。そして「こういう難しいコースで勝つことこそ、まさにNO.1。昨年、出場できなかったリベンジが出来ました」。タイトルスポンサーのUBSグループの大森進・UBS証券会社社長より受け取ったティファニー社製のUBSトロフィを手に、歓喜の涙をそっとぬぐった。